10年たったら

2011/04/07 ウェブログ, 新着情報 by 管理者

竹下さんは10年(と少し)たったら、総理大臣になったが、私の場合、10年たったけど、・・・。
近頃の弁護士にとっては、10年間はまだまだ駆け出しであり、とても一人前とは言い難いのではなかろうか。10年たったけ ど、色んな面で焦燥感に駆られている。

三五才になった頃から、しのびよる四〇代というものに、漠然とした恐怖感みたいなものを感じたことがあり、兎に角、今やっ ている全てのことを、前後を考えず、驀然と徹底的にやり尽くしてみよう、そうすれば、何か先に見えてくるのではないか、少なくとも、ある程度落ち着いた状態で四〇代を迎えることができるのではないかと考えた。

現在の生活を大別すれば、家庭生活と、弁護士としての本業と、公害訴訟弁護団の一員としての仕事と、青年会議所の活動の四つに大別できる。どれも一生懸命にやっているつもりだが、やはりというべきか、一番引け目を感じるのが家庭生活であり、最も努力が足りないのが、本業の方であろう。公害訴訟に多くの時間を割いているのが現状と言えよう。

私にとって、公害問題とは、現代文明に対する問いかけである。公害問題は決して終わっていない。日々、ぜん息発作などで苦しんでいる公害患者が沢山いるのがまぎれもない事実である。特にこれからは、公害の遅発性の影響に我々は直面することになるであろう(しかし、それでは遅すぎるのだが)。

公害問題、ひいては環境行政を厳しくすることは、それだけ、産業の発展を遅らせるのであろうか? 答えは、ノーと考える。鉄鋼は国家というが、現在の日本の繁栄は自動車産業による処が大である。我が国の自動車産業の技術の優秀さは世界が認めるところであろうが、それは、厳しい排出ガス規制によるものではないだろうか。低濃度の排出ガス規制をクリアーすることは、結果として、燃料の完全燃焼につながったのであり、それが、ひいては、エンジンの性能向上をもたらしたのである。環境基準をクリアーするための、企業努力が、欧米の車を凌駕する日本車を実現させたと言えるのである。
ひるがえって、現在の鉄鋼業界の凋落ぶりはどうであろうか。 環境基準を撤廃するための努力はされたであろうが、環境基準をクリアーするための努力はされたのであろうか。自動車業界に匹敵する努力、研究が行われていたならば、現在の鉄鋼業界は又、自ら違ったものになっていたのではなかろうか。
この議論は言い古された感をもたれる方もあろうが、公害運動がもたらす、一つのパラドックスであり、本当に大切なことは何なのかということを、改めて考えさせてくれる一つと考える。

公害運動の分野は、勉強すればするほど、世の中のことが見えてくる。日本のことを、人類のことを真剣に考えている素晴らしい人物に巡り逢うことができる。もっともっと多くのことを学び、教えて頂き、そして、10年たったら、『私は公害訴訟に命をかけた』と言い切れるようになりたいものであるが、いささかこころもとない。

JC活動は、ボランティア活動であり、遊びだと言われても、その通りだから仕方がない。がこれもまた楽しい。
今年は、10ヶ月ぐらいの事前準備をして、中学生六三名と富士登山に挑戦してきた。全員登頂がメンバーの一年間の悲願であった。
八合目当たりで意識朧朧となる中学生が続出したが、中学生の全員登頂に成功した。六三名もの中学生を全部登頂させるということは快挙だと思うのだが、わかってもらえないだろうなー。

10年たったけど、まだまだ、これからであり、先は遠いというのが、今の心境だが、あまり急がずゆっくり歩いていきたいと考えている。


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