民暴5年、公害15年、不良債権5年、行暴5年合わせて30年!

2011/04/07 ウェブログ, 新着情報 by 管理者

秀平吉朗 Hidehira Yoshiro 30期

イソ弁時代の5年間は、交通事故関連の仕事の全盛期であったろう。大阪地裁第15民事部に入り浸りであった。暴対法が出来る前の時期であり、交通事故の賠償金が暴力団の資金源の一つであった事は間違いなく、多くの示談屋との示談交渉に明け暮れたものだ。

暴対法が出来てから交通事故紛争の世界は一変した。あれだけ沢山いた示談屋は何処へ消えてしまったのだろう。不思議でならない。この示談交渉での経験が、私の弁護士としての足腰を鍛えてくれた。

独立後は、西淀川大気汚染公害訴訟に過半の時間を注いだ。裁判そのものは和解解決まで20年を要したが、第一次訴訟一審判決後に味わった「勝利の美酒」の味は、生涯忘れることはない。心から信頼しあえる友も得た。

今振り返ってみても、公害訴訟が頻発していた時代であり、「命を懸けて闘った」と思える。闘った相手は、大企業と国と著名な大学教授達であった。若くて体力もあった時代である。

西淀が終わって、「何をしようかな」と思っている処に、住宅金融債権管理機構(その後、株式会社整理回収機構、以下「RCC」という)の法律顧問の仕事が舞い込んできた。 RCC の仕事は、金融界の不良債権の回収であるが、相手はアンダーグラウンドのバブル紳士達である。金融機関にはないノウハウを駆使して、裁判官や検察官も含んだ司法が、立法・行政権力をバックにして、担保権や執行法に関する判例や新法を次々と出して頂き、これらの相手と向き合う世界であった。個人的には、示談交渉や公害闘争での経験が大いに役立った。

この国の資本主義体制の健全化の為に、不良債権問題を解決することによって金融界の再生をはかることは不可欠だという認識のもと、使命感に基づいて業務に精励した。 RCCに対しては、弁護士業界は厳しい見方をされている方が多いかも知れないが、残念な事である。RCCの様な大きな組織の中の一員としての仕事は未体験であり、多くの職員との交流は、通常の弁護士業務では得ることの出来ない貴重な経験をさせて頂いた。彼らとのお付き合いは、これからも長く続いていくことだろう。暴力団組事務所の明渡し執行という派手な仕事も複数回やったが、金融法務とりわけ経理帳簿を精査して不正経理を見つけるという地味な仕事が出来たのも、楽しい想い出である。

今は、行政に対する不当圧力(所謂、行暴)と対峙する仕事をしている。大阪国税局が16年間一銭も税を徴収出来なかった組織を相手に、日夜、税の徴求業務に携わっている。この仕事の関連で、私の自宅及び事務所は警察署が24時間監視しており、何の自慢にもならないが、既に逮捕者が5名(そのうち実刑3名)出ている。文句を言わない家族・事務局に感謝しなければならない。21世紀の「地方の時代」を確実なものにする為に、誰かがやらなければならない仕事だと考えている。法的にも、警察との連携の分野でも改革しなければならない点が山ほどあり、行暴問題はまだまだ世間に認知されていない問題であるが、司法の役割は多いはずである。

弁護士登録の最初の頃は、大企業や国を相手に裁判をしていたが、途中から国や行政の代理人の仕事に変わってきた。しかし、仕事の中味は変わっていないと思う。公害であれ、不良債権であれ、行暴であれ、その時代の社会の病的な部分を取り除き、改善する仕事に従事して来れたのだと思っている。

弁護士になって山あり谷ありの30年目だが、西淀の時の様な巨大な相手に情熱をもってブツかる様な仕事がまだまだしたい。ひと昔前になってしまった西淀の仕事以上の仕事は出来ないでいる様に思う。自分に何かが足りないのであろう。初心を忘れない様にしなければならない。その為のテニス、フィットネス、ゴルフ、クッキングスクール通いは相変わらず続けている。


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